監督の特権

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、初代ユニフォーム(アシックス・青)をリニューアルしました。

 

作成から15年以上が経過し、背番号や胸のチーム名など、あちこちプリントが剥がれかかっていて、さすがに「もう限界かな」と思っていましたが、見たところ、それ以外に目立った傷みも汚れもありません。

試しに1枚だけ剥がしてみると、糊の跡は残るものの、生地自体はしっかりしており、このまま使わないのはもったいないと思って駄目もとでなじみのスポーツ用品店に相談してみたところ、問題なく貼り替え可能とのことでしたので、思い切ってマークを全部剥ぎ、9着まとめて貼り替えに出していました。

 

待つこと10日余り。

 

ご覧のように、INNAIのネームと背番号が目にも鮮やかにリニューアルされて戻ってきました。お店の配慮により、チーム名のフォントも以前のままです。

 

チーム発足当時の平成10年に作ったこの初代ユニフォーム。

最初は背番号がなく、胸の「INNAI」だけしか入っていませんでしたが、翌年、何とか予算を工面して背番号と胸番号を入れ、そのユニフォームを着た2期生が雨の平成の森グラウンドを駆け回り、地元開催となった県際間大会で3位入賞という成績をもたらしてくれました。この大会の印象が強いせいか、初代ユニフォーム=県際間大会というイメージが自分の中で定着しています。

その8年後に作った2代目ユニフォーム。この年は偶然Fリーグの開幕と重なり、当時の卒業生の思い出にとバサジィのチーム関係者に頼み込み、バサジィ大分対バルドラール浦安戦の前座試合(無観客でしたが)としてFリーガ―と同じコートに立つことができました。拓也や雄太や充など、一人でボールを運ぶ力を持ったキャプテン達が10番を受け継いでいった、お気に入りのデザインです。

さらに、その7年後にあたる昨年度に作成した3代目ユニフォーム。こちらはエンジョイ5セカンドステージ進出やバーモントカップでのベスト8など、歴代最強と呼ばれるチームの活躍を彩ってくれました。

 

自分自身、これといって取り柄のない人間だと自覚していますが、昔から物持ちだけは良い方で、これまで所有したユニフォームはおろか、ビブス1枚に至るまで、すべて紛失することなく保管しています。そして、これらのユニフォーム1着1着、ビブス1枚1枚に、たくさんの思い出が詰まっています。

 

平成18年に2代目を作ってからは、同じ青色ということもあり、しばらく出番を失っていた初代ユニフォームでしたが、平成22年に行われた「U-10交流戦」に着用した頃からU-10としての活動が増えてきたため、高学年が2代目(プーマ)、低学年が初代(アシックス)と使い分けてきました。 また、一昨年3代目を新調してからは、主にバーモントカップに向けての練習試合でビブスの受け渡し練習のために着用していました。

そう思うと、 低学年の頃に初代ユニフォームを着てU-10を戦い、高学年になってから主力として2代目の青を、さらに新調した3代目を最高学年で着ることができた16期生は、つくづく“持ってる世代”だなと思わずにいられません。

 

最近は着た子供から「暑い」との声が聞かれる初代ユニフォーム。おそらく最近の生地に比べ、通気性や薄さの面でかなり差があるからだと思いますが、そんなところにも歴史の重みを感じます。

 

ちなみに初代ユニの10番は、現・ジンガの幽霊部員でもあるタケシでした。前年度からフットサル教室に参加した選手が大半を占める中、6年生になって入部すると同時に10番をかっさらっていった実力の持ち主です。その後、1人を挟んでエースナンバーは翔平コーチへと引き継がれて行きました。当時から好守に労を惜しまずコートを走り回り、味方を鼓舞していたプレースタイルそのままに、今では自分の右腕としてチームを引っ張ってくれています。

タケシと同期で黄金世代の1人であるノリコーチは4番。5年生の頃は巧みなポジション取りでごっつぁんゴールを連発していましたが、6年生になるとポジションを下げ、チームのバランスを取りつつ最後尾からタイミングの良い攻め上がりでチャンスを演出するクレバーなプレースタイルでした。今ではGKコーチとして、他のコーチとは違った視点からの冷静かつ的確な分析でチームを支えてくれています。

最後に小学生の頃から感覚的なプレーでゴールを決めていた翔コーチの背番号は9番。プレースタイルは今でも感覚的ですが(笑)、指導は意外に緻密で丁寧です。

 

こんな風に、選手たちのプレースタイルに応じて背番号を考えるのも、そんな子供達の成長を見守ることができるのも、小学生の頃の姿と重ね合わせて彼らの成長を実感することができるのも、監督ならではの特権です。

 

2日後に迫ったお別れ試合に向け、今日は進学が決まった拓也と航輔、試験休みの雄太といった歴代キャプテンと、部活帰りの駿コーチが見守る中、6年生にとって最後のユニフォーム渡しを行いました。

 

ベリッと剥がした古いマークとともに、チームを取り巻く重苦しい空気も一掃することができれば良いのですが…


コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    GKの母 (金曜日, 13 3月 2015 17:02)

    昨日の練習は、OBのコーチが多く集まったと聞きました。
    最後の感想を述べるとき、歴代キャプテンの隣のただのGK・・・少々居心地が悪かったようで(笑)
    チームを離れて何年経っても、時間を見つけて顔を出してくれるOB達・・・有難いことですね!監督の尽力の賜物ですね☆

    明日のお別れ試合、べっぷアリーナで行われることに何か意味があるのでは?と妙に気になっています。
    昨年の別府セントラル以来のアリーナのピッチ。
    そこに上がれる弟を心からうらやましく思いながら、中学生は部活へ向かうようです・・・。

    重苦しい空気?など吹っ飛ばしましょう!
    六年生最後の試合が良い思い出になるよう、そして来年度に向けて希望の光が射すことを願って・・・。

  • #2

    藤原 (土曜日, 14 3月 2015 23:17)

    GKの母さん

    今日もお世話になりました。

    実際には重苦しいどころか、強い強い向かい風が吹いているような状態でした。木曜日も、とても練習になりそうな雰囲気ではなかったのですが、中高生がいてくれたおかげでようやく練習できた、というのが本音です。

    居心地が悪いなんて言わず、これからもお願いします。

    ちなみにべっぷアリーナでやることの意味ですが…
    特に深い意味はありませんよ。あると言えばあるし、ないと言えばない。子供達や保護者の皆さん、それぞれが感じたことが意味ということでどうでしょうか?