今日から11月7日の九州ジュニアフットサル大会大分県予選まで、8日連続で練習&試合が続きます。
初日の今日は、大分市のエルズにお邪魔し、9時から12時までリノスさんとU-10の練習試合。久々に西村さんともお会いし、フットサル談義を交わしました。その後、何人かのコーチ・選手・保護者とともビーコンに移動しFリーグ「バサジィ大分対アグレミーナ浜松戦」を観戦。さらに一旦帰宅後、17時からAチームの練習という、なかなか濃いスケジュールとなりました。
フットサル漬けの一日となった今日。何か忘れているというか、引っかかるものがあると思いながら過ごしていましたが、その理由が分かりました。
ナビスコカップの決勝です。
スケジュール的にテレビ観戦は無理だと分かっていましたが、朝バタバタして録画予約するのを忘れたため、日本サッカー界の3大タイトルの一つであるこの大一番を見逃してしまいました。ガンバ大阪対鹿島アントラーズの顔合わせとなった決勝は、後半に3ゴールを奪った鹿島が快勝し、歴代最多となる6度目の優勝を飾ったとのことです。
ところで、大分でナビスコカップといえば、この話題を抜きには語れないでしょう。
7年前の明日、2008年11月1日に大分トリニータがナビスコカップで優勝しました。
名将・シャムスカ監督に率いられ、歴代最強メンバーとともにトリニータが快進撃を続けたこの年。ホームアンドアウェーで行われた準決勝・名古屋との第2戦にウェズレイのゴールでトリニータが勝利。ビッグアイで行われたこの試合の観戦後、帰宅してすぐに国立競技場で行われる決勝戦に備えて飛行機のチケットを手配したことを今でも覚えています。
決勝戦への進出が決まったばかりで当然試合のチケットの販売は始まっていませんでしたが、とにかくこんなビッグマッチを観戦しようと思ったらチケットの確保が最優先です。経験上、試合のチケットは何とかなりますが、それよりも東京行きの移動手段を確保することが先決との思いから、いち早く航空券の確保に動きました。
ちなみにこの時点では、大分空港をはじめ、近隣の空港からの東京行きの便はほとんど空席の状態でした。考えた結果、北九州空港から決勝戦の前日の早朝に出発し、翌日(決勝戦当日)の深夜に帰宅するという、スターフライヤーの格安便を難なく確保することができました。
その後、決勝戦の開催要項が発表され、試合の存在が話題になるにつれ、国立競技場で行われる決勝戦を観戦するため大分から東京への航空券があっという間に満席となり、飛行機や新幹線等、大分から東京への移動手段の確保が困難な状態に。それでも決勝戦の当日には、1万人とも2万人とも言われたサポーターが陸・海・空、あらゆる手段で大分から東京へ移動したことが全国的にもニュースとなりました。
なお、決勝ではトリニータが高松・ウェズレイの2トップのゴールにより、清水エスパルスを2対0で破り快勝。九州に初のタイトルをもたらす瞬間を国立のスタンドで目撃することができました。
試合の内容ももちろんですが、初めて訪れた国立競技場のスタンドから眺めた景色、青とオレンジの2色に染まった観客席、さらに入場時に配られたチップスターをぶら下げて渋谷の街を歩いたこと、国立で踏んだ銀杏の実の臭いが帰りの飛行機の機内で気になったこと…すべて良い思い出です。
当初は、せっかくの国立だし、メインの指定席でゆったり観戦しようと考えていましたが、チケットの先行販売日の土曜日、練習を終えた昼前に近所のローソンでチケットを買おうとロッピーを操作したところ、10時からの発売にも関わらず既にチケットは売り切れでした。仕方なく、後日追加販売されたゴール裏の自由席を何とか購入しましたが、はるばる大分から駆け付けたサポーターに囲まれて観戦したことも今では良い思い出となっています。
ちなみに、7年前といえば、フットサルの世界ではFリーグが開幕して2年目のシーズンを迎えた年でもあります。
国立でトリニータの優勝を見届け、北九州空港行きのスターフライヤーの出発を待っていたところ、羽田空港のロビーでロットのジャージを来た体格の良い集団に遭遇。
何と、翌日に大分でFリーグの試合を戦うために九州入りする「ステラミーゴ花巻」の選手達でした。
勇気を出して何人かの選手にサインと記念撮影を申し込んだところ、快諾してくれましたが、このとき一番フレンドリーに接してくれたのが、現在エスポラーダ北海道に所属する水上玄太選手です。
もちろん、翌日のバサジィ大分対ステラミーゴ花巻戦では、大分とともに花巻の水上選手を応援しました。
チップスターの缶入りの袋をぶら下げて渋谷のローソンで買ったFリーグのチケット。その裏に書いてもらった水上選手や岡崎チアゴ選手達のサインは一生の宝物となっています。
残念ながら、花巻は3シーズン後にFリーグから退会し、現在は存在していませんが、水上選手は故郷の北海道に移籍し、現在もエースストライカーとして活躍しています。
なお、Fリーグの公式サイトの記録を確認してみたところ、この時の試合に現在リノスフットサルアカデミーの代表を務める西村さんがバサジィの選手として先発出場し、先制ゴールを記録しておられました。
あれから7年。
水上選手は今でも大分に来るたびに応援させていただいていますし、2年前の別府セントラルでは北海道の試合のエスコートキッズを務めさせてもらうという偶然に恵まれ、さらに翌日の前座試合に出場するうちのチームの子供達に激励の言葉をかけていただくことができました。
西村さんとは、今ではジュニアのフットサルの指導者として恐縮ながら同じ舞台に立たせていただいています。
7年前には思ってもいなかった境遇に、正直感慨を隠し切れません。自分のことながら、真面目に頑張っていればこんなこともあるのかと、しみじみ感激に浸っています。
さらに5年後、10年後には、どんな未来が待っているのでしょうか。
お互いの教え子が、同じ舞台でしのぎを削る存在になってくれていたりしたら、これ以上の幸せはないのですが…
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